2005-08

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ナインティナイン

ナインティナイン


岡村隆史(ボケ、おかむらたかし)、矢部浩之(ツッコミ、やべひろゆき)からなるコンビ。1990年結成。

1991年 第12回今宮こどもえびす新人漫才コンクールこども大賞受賞
1992年 第13回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞受賞
1993年 第22回上方お笑い大賞銀賞受賞
1997年 第39回ブルーリボン賞(岸和田少年愚連隊)新人賞・作品賞

このコンビの特徴はしゃべりによる笑いだけでなく、動きや表情のキレから笑いをとることができるということです。そのためバラエティ番組で十分に力を発揮することができ、今のこの活躍につながってます。

二人は高校のサッカー部での先輩後輩であり、矢部が大学受験に失敗したのを期に、当時一浪して入った立命館の学生だった岡村を誘いNSCに入学(但月謝が払えず除籍に。出入り禁止となってしまう)。ちなみに二人の初めての会話は、部活中ゴールを運ぶ時に矢部が「岡村さん、『夕やけニャンニャン』って見てはります? 僕あれ観てるとワクワクするんですよ」と話しかけたのが最初らしいです。
その後、吉本若手メンバーで構成されるユニット吉本印天然素材のメンバーとして東京へ進出、ナインティナイン結成となります。

二人はサッカー好きの芸人でも知られ、矢部は「矢部っちFC」というサッカー番組を持ち、岡村は草サッカーチームを持っています。ナインティナインの母校である茨木西高は南海キャンディーズのしずちゃんの母校でもあります。また、岡村は歌手の相川七瀬の友達の姉と付き合っていたことがあるらしいです。

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雨上がり決死隊

雨上がり決死隊(あめあがりけっしたい)


雨上がり決死隊は宮迫博之(みやさこ ひろゆき)と蛍原徹(ほとはら とおる)からなるコンビ。1989年にコンビ結成。

1992年、上方お笑い大賞 銀賞
1992年、第13回ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞
(ちなみに雨上がり決死隊は最優秀新人賞の大本命になってましたが、この時の最優秀新人賞はナインティナイン)
1993年、上方漫才大賞 新人奨励賞


それぞれ雨上がり決死隊を結成する前は「ぴいぷる(宮迫)」、「ホワイト&ホワイト(蛍原)」というコンビでやっていました。

90年代の前半、吉本興業のお笑いユニット・吉本印天然素材のリーダー格としてナインティナイン(2年後輩)らと共に活躍してました。 その後、しばらく仕事のない時期を過ごしますがが、90年代末頃から 「ガキの使いやあらへんで!」などで活躍し始め、松っちゃんや浜ちゃんをメガホンで思い切りしばいたり、山崎邦正にドロップキックなどパワーのある笑いで、再び人気を博し始めました。今やゴールデンの番組のレギュラーや自分の冠番組を持つほどにまでになりました。


ボケの宮迫といえば、自分の頬を叩き両手の人差し指を突き出し「みやさこでーす!」というギャグがあげられますが、あれは一見両頬を叩いているように見えますが、実は一回しか頬を叩いてません。
また、恐妻家としても知られ、深夜に仕事から疲れて帰ってくるやなや寝ぼけ眼の妻に「あんた、あたしのヤクルト飲んだやろ!?」とマジギレされて、暫くの間玄関で蹲ったという話は有名です。さらには、宮迫が家に松本人志を招待した際に、松本が長男を抱っこすると鬼の形相で睨みつけた事もあるとか。


一方の蛍原は、宮迫と比べて目立たないことが多いですが、90年代初頭のナイナイも所属した吉本天然素材ではリーダーを務め、器用に仕切り等をこなしていました。
また、人のよさそうな感じですが、学生のころは相方も恐れるくらいのヤンキーだったそうです。意外な特技としては、「毒物劇物取扱責任者」という国家資格を取得しているそうです。これは蛍原が科学者になるのが夢だったためで、この物々しい名前の資格をもつことによって「化学物質を棚からおろることができる」らしいです。

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くりぃむしちゅー

くりぃむしちゅー


上田晋也(うえだ しんや)、有田哲平(ありた てっぺい)からなるコンビ。1990年に海砂利水魚としてデビューし、2000年にくりぃむしちゅーに改名。



二人は、高校(熊本県立済々黌高等学校)で同じラグビー部に所属していたことが出会ったきっかけ。ちなみに初会話は有田が上田に話しかけた言葉で「猪木と前田、どっちが好き?」だったそうです。
高校卒業後、上田が有田を誘い共にお笑い芸人の道に入りました。

改名の経緯は、「新ウンナンの気分は上々。」でのグループ名改名対決でさまぁ~ずに敗北。内村光良によって、半強制的に「くりぃむしちゅー」に改名されました。名前の由来は有田の好物であったクリームシチューを平仮名にしたものです。


海砂利水魚時代には緻密に構成されたコントで「タモリのボキャブラ天国」(ちなみにその時のキャッチフレーズは「邪悪なお兄さん」)などで人気を博していた二人ですが、人気が爆発したのは改名後です。
改名後、それまでのコントが主だった路線からトーク番組を中心に活躍の場を移し、また上田がうんちく芸を表に出してくると、人気が急上昇。有田もそのアホさでバラエティ番組のハメる企画等で嵌められまくり、ある意味で知名度を上げていきました。
上田は他にも例えツッコミなるツッコミの境地を切り開き、今やゴールデンの枠を持つなど、その地位を不動のものにしました。


有田は、深田恭子とのお泊りデートや合コン後に女の子をラブホテルにお持ち帰りした所を写真誌に取られたりしていますが、そのだらなしさを世の中に知らしめたのが「ロンドンハーツ」のだまし合コンの企画です。この企画は相方の上田が「合コン好きの有田を懲らしめてほしい」と番組に依頼し、実に3回に渡って行われましたが、すべて番組が仕掛けた落とし穴に引っかかっています。その時に女の子と二人きりになった際、「クルトンって呼んで。」と有田が言ったので、ロンドンハーツでは『クルトン有田』と呼ばれていました。


一方の上田は驚異的な天然パーマが特徴です。一度、同じ「ロンドンハーツ」の企画でドッキリ合コンを仕組まれ、その際に女の子に騙されてストレートパーマで強制的に髪型をストレートに変えられたことがありますが、ものの一時間でもとの髪型に戻ろうとしたほどの強固さを誇ってます。
ちなみに上田はうんちく王として芸能界に君臨してますが、この知識の源は「知泉(ちせん)」という本から得たものだというネット上での噂です。本人も酔っ払った際に「知識の泉と書いて知泉という本があるんですが、これを読めばうんちく王になれますよ」と発言をしましたが、その後「うんちくの知識は周囲の人間から得たもの」と弁解しています。

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